病院の不思議話

いろいろ

病院は「生と死が交わるところ」なので、やはりその手の不思議話はたくさんあり、と言っても私はいわゆる霊感がなく見えることがないので、当直中の夜咄的に看護師さんたちから聞いた話です。
そんな中から、夏にふさわしい話を紹介します。

*怖いものが苦手な方は、読まないことをお薦めします。

はじめに;中学の時の話

私の出身中高は、旧日本陸軍の跡地に建っていて、私の在学当時は、陸軍時代から使われていた建物が残っていました。
何に使われていた物かはわかりませんが、学校では、夏や春の部活動の合宿所として使っていました。

【参考:私の高2の時の写真です】

写真の背景にある、茶色っぽい建物(緑の矢印)がそれです。
(手持ちにこれしか写真がなくて…。実家の卒業アルバムにはもう少しいい写真があるかも)

中はこんな感じ。

【矢印は私。真ん中の光の筋っぽいのは写真をスマホで撮影する際に光が反射したもので、異常ではありません】

廊下ぞいに教室大の部屋がいくつかあるだけのシンプルな2階建てでした。水道はあるけど風呂はなく、トイレは別棟(中学生の部室棟の隣なので、中学生にとっては普段使っているトイレ)でした。

ここに毎年泊まっていたので、もはや何ともなかったのですが、中1の初めて泊まる夏は少しびくびくしました。

「見える」という友人が「怖い怖い」というので、消灯時間前に歯磨きとトイレを済ませて部屋にいると、後から戻ってきた友人が蒼白になって「トイレの入り口に馬がいた~」と言いました。
別の友人は「大人の男の人が立ってた」と。

いやいやいや…馬の幽霊とかおかしいし、高校生を見間違えたんじゃないの?と、まったく見えない私は友人たちの話は眉唾じゃないかと思って、そのまま忘れていました。
怖い思いもせず、6年間無事に過ごしたのですが…。

とある国立病院で

かつて私が5年間勤務した、とある病院は、旧陸軍病院系の国立病院でした。
旧国立病院はどこも大体似たつくりをしていて、外来棟からまっすぐ平屋か2階建ての長い廊下が伸び、廊下の左右(または片方)に病棟棟が櫛の歯のように並んだ構造をしています。

その病院も同じつくりで、長い廊下の真ん中あたりにコンビニがあるので、入院してる患者さんたちもよく廊下を歩いていきます。

そこで、看護師さんから不思議な話を聞きました。

「認知症の方などと一緒に売店に行くと、廊下の途中でその方が止まってお辞儀をしたり『こんにちは』と言ったりする」という話です。
しかも、その場にいた多くの看護師さんが「あるある」という…

理由を聞くと、「兵隊さんに会ったから挨拶した」「馬に乗った兵隊さんが通った」等と答えてくれるところまでテンプレなんだそうです。

「あの廊下は兵隊さんがたくさん歩いてるらしいよ。(廊下の先の)入口ドアも、夜中だれもいないのに開いたりするのを、事務当直の人みんな見てるって」
とも教えてもらったので、当直中に廊下を歩いて見ていると、確かに誰もいないのに自動ドアが開いたりしていました。
(入口ドアは二重になっていて、外ドアと内ドアの間は数メートルあり、風で飛んできたもので内ドアが開くことは、考えにくい構造をしています)

確かに兵隊さんがいるのかも知れない…

それで思い出したのが、中学の時友人が言っていた「馬と男の人」でした。
あの陸軍時代の建物は、入口扉が3mくらいの大きなもので1階の天井も高く、「馬に乗ったまま出入りできるようになっている」と社会科の授業で習ったことも思い出しました。

そういうことだったのね、疑ってごめんなさい、です。
「陸軍、馬、男性」というピースがつながって、鮮やかな画を見せてくれた感じです。

折しも、私の在職中に、旧軍人さんで軍隊の福祉制度を使って入院していた患者さんの最後の一人が、亡くなりました。身寄りのない90才くらいの方でした。
手続きをしていたソーシャルワーカーさんが「この病院の大きな歴史の幕が下りましたね」と、しみじみしていたのが印象に残っています。

病院はその後、建物は建て替わり、忙しい急性期型病院になっています。
母校の建物も、取り壊され体育館になりました。両方とも、昔の面影はほぼありません。
そこにいた、馬や兵隊さんはどこへか行ったのか、まだそこにいるのか…。

近しい親族に、従軍した人も空襲で亡くなった人もいない私にとって、この話はささやかな戦争を想う話になりました。
彼らが虹の橋を渡っていってくれることを祈っています。

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