「習慣」や「文化」とはどうやって身につくのか、考えたことがあるでしょうか?。
それは、親から子へ自然と受けつがれているように思えますが、本当にそうなのか考察するにあたり、おもしろい本があるので紹介します。
内容は、著者が読んだ膨大な数の心理学・社会学の論文のレビューと、その結果から導き出す著者による考察です。
考察の部分にすべて賛同はしませんが、ともすれば科学的でないと批判される心理学論文と社会学論文を丁寧に読み、できるだけ科学的に結果を読みとる姿勢は、素晴らしいと思いました。
こちらの本の内容を参考に、習慣や文化を子どもに伝えることについて考えてみます。
習慣や文化は「親から子へ伝達する」ように見えているだけ
この本の中で強調されているのは、「同じ文化圏に所属する親が同じ文化圏に所属する子を育てた場合、それはあたかも『親が子に習慣を教え、社会化を促したように見える』けど、実際はそうではない証拠がたくさんある」ということです。
同じ文化圏に所属する親子とは、例えば、日本に居住する日本人の親子などです。このような環境での子育てでは、子どもの社会での振る舞いに親が決定的に重要とみなされがちですが、実際は違うかもしれない、ということです。
親子が同じ文化圏に所属していることの影響を外して考察するには、養子や移民のケースを検討することになります。
著者はアメリカ人なので、周囲に移民はたくさんいますし、欧米の社会では養子縁組はめずらしくありません。著者のふたりの娘も、ひとりは実子、もう一人は養子と書かれています。
また、日本では意識しにくいですが、欧米の社会には「上流」「中流」「スラム」など、社会階級により住む場所や使う言葉が違うという現実があり、アメリカの場合は人種によって文化が違うという側面もあります。
このような、実の親と違う親や、違う文化圏の親に育てられるケース、親が育った文化圏と違う文化圏で育つ子のケースを調べていくことで、習慣や文化の伝達には、親以上に育つ社会(同年代の仲間集団)の存在が大きいという事が見えてきます。
著者があげた養子と移民のケースを紹介します。
ケース;養子の場合
20世紀後半、ニューヨークのスラム街で貧困家庭出身で犯罪をくりかえす10代の子を、地方の中流家庭でひきとり養育する、というプログラムがありました。
中流階級の素行の良い子どもしかいない高校に転入したら、ニューヨーク出身の少年も、その地域の中流の言葉を話し、勉強をするようになり、触法行為を行うことはなくなったそうです。
ケース;移民の場合
アメリカのある地方の田舎町に、ポーランドから移り住んだ親子(両親と7歳の少年)は英語が全く話せませんでした。ネットのなかった時代のケースです。
周囲にはポーランド語の話せる人は皆無で、少年は地元の小学校に転入しました。学校では特別な英語教育は行われませんでしたが、少年は数ヵ月後には片言の英語でクラスメートと会話するようになり、2年後にはほぼネイティブレベルとなり、発音の訛りも消えました。
その後も家庭内ではポーランド語が使われましたが、両親の英語と少年のポーランド語はそれほど上達しなかったようです。
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ふたつの少年のケースで共通するのは、新しい環境には同年代の仲間がいて、元の環境を共有する友達(同年代の仲間)がいなかったことです。
ネイティブ言語は誰から学ぶ?
前章のポーランド人の少年のケースの他に、ハワイ移民2世同士の言語;ピジン語のケースや、手話がなかった国で聾学校を作った時のケースなどが、紹介されていますが、共通しているのは、子ども達がネイティブ言語として習得したのは、自分がそれまで話していた親と話す言語ではなく、友達が話す言語だったということです。
この事は、移民の間では普遍的にみられることのようです。
私の知人のフランス在住の家族がいます。日本人の両親は移住1世で、アラフォーの子ども達は現地生まれ現地校育ちです。家では日本語での会話ですが、子どもはネイティブ言語はフランス語で、日本語は意思疎通はできますが仕事で使うレベルにはなく、漢字など文字は読めません。
数年前、子どもの一人が日本に遊びに来ましたが、見た目は“どこかのアジア人”という雰囲気で、飲食店で「すみません」と声をかけたら英語で返事をされてしまいました。
血縁も育てたのも日本人の親なのに、立ち居振る舞いがフランス風になっているので日本人に見えなかったのです。
ちなみに、このようなことは、移住先で仕事や学校など祖国のコミュニティに所属している場合(日本企業の駐在や日本人向けの仕事、日本人学校等)は当てはまらないようです。
社会化とは…所属する集団らしい行動様式を身につけること
言語は所属集団の証明
当たり前ですが、言語はコミュニケーションをとる重要なツールです。
コミュニケーションというと、他者と意見のすり合わせをするためのツールをイメージしますが、もうひとつ言語は重要な役割があります。
仲間同士を結びつけるツールでもある、と著者は分析しています。
どういうことかというと、ある種の言葉遣いで、仲間と他人を差別化し仲間の結束を高めることができるということです。英語にみられる、階級によって発音やイントネーションが違うというのもその表れですし、日本語でも、方言や職業特有の言葉遣いや、その業界でしか通用しない隠語などがあったりします。
言葉遣いは、「自分はその仲間集団に所属している」という宣言でもあり、それによる文化の源泉でもあるのです。
子どもの社会でもこれは顕著で、幼稚園・保育園デビューをした子の汚い言葉遣いは、親世代と自分たちを差別化するツールになります。
少し前には『クレヨンしんちゃん』のしんちゃん声優さんのまねが子どもの間で大流行しましたが、たいていそれは、親のいうことを聞きたくないときや、大人との世代間の差をからかうときに顕著にみられました。
子供たちは、自分は“こども”という集団に属していて“おとな”ではない、と言葉で宣言しているのです。
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「言葉遣いは所属する集団の宣言」ということは、言葉だけではなく、生活全般に影響を及ぼします。
つまり、「そのような集団の一員」らしい行動様式を身につける、ということです。
前章の「養子のケース」の少年がいい例ですが、NYストリートギャング出身の少年も、地方の中流の言葉を話し、学校に行き勉強や部活動をするその地域の典型的な少年になっています。
これは、言葉を身につければそのように行動するようになる、という意味ではありません。その集団に属しているという意識(著者は“カテゴリーに属する”と表現します)がその言葉遣いや行動様式を行わせる、ということです。
まずはどのカテゴリーに所属しているかの認識が重要なのです。
そして、そのカテゴリーは社会全体の認識によって決まる部分がとても大きく、個人で選べる部分は限定的です。
「自分はこういう人間です」の認識は周りによってかわる
著者によると、どの社会でも強く個人に影響を及ぼすカテゴリー分けが存在しています。
それは、“男性、女性”や“老人、大人、子ども、赤ちゃん”といった、年齢性別によるカテゴリーです。多民族多国籍環境では、“人種(民族)”や“国籍”“信仰”も重要になります。
どの人も、そのカテゴリーのどこかに属し、その下(サブカテゴリー)として“大人の男性(おじさん)”や“子どもの女性(女の子)”など重層的にカテゴリーに属しています。
そして、複数のカテゴリーの内、自分がどこに所属しているかの認識は、その時の周りのメンバーによって変わるのが普通です。(カテゴリー認識はほぼ無意識下で行われます)
学校や職場など年齢域の偏った集団では、男、女といった性別や、先生と生徒、上司と部下といった役割によるカテゴリーが強調されることになります。
一方、家庭内や地域活動など多年齢の集団にいるときは、“性別”よりも“年齢”カテゴリーが表に出てくることもある、という訳です。
このことは経験的にも理解できると思います。
その時々によって人は“自分の所属するカテゴリー”らしい行動を行いますが、学校や職場にいるときの自分と家庭にいるときの自分では、言葉遣いや行動が違うのは誰しも思い当たるでしょう。
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子どもカテゴリーにおける「文化」は先輩からの伝達+家庭から持ち込むものの総和
子どもの社会化に話を戻します。
子ども達は仲間集団(カテゴリー)の言葉遣いをまねて覚える、と書きました。
言葉だけではなく行動様式も、仲間集団の一員としてふさわしいようになっていきます。
ちなみに、子どもがどのように同じカテゴリーの仲間(友達とは限らない)を見つけるのか、それも殆ど本能行動です。
観察研究によると、抱っこされた乳児でさえも、大人より自分と年齢の近い赤ちゃんに興味を示し関わろうとすることが知られます。人の子と猿の子を一緒に育てた研究では、二人(?)はきょうだいのように仲良く遊び、自分たちを仲間同士と認識し、大人にはわからないサインで意思疎通していたことが知られます。
幼い動物にとって、同年代の仲間を見つけるのは理屈ではないようです。
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子どもは社会にデビューすると、今まで家庭カテゴリーで身につけたものが仲間内で通用するか見極めることになります。
家庭での習慣や言葉づかいが「普通」かどうか、という基準でです。
自分が家庭で身につけたものが仲間のやり方とあっていればそのまま行い、あっていなければ封印する、知らなかったことは仲間のやり方をまねするという風に、仲間の行動様式を身につけてなじんでいきます。
進化の過程では、子ども集団は幅のある年齢域だったので、まねする対象は同性の少し年上の子、年上のきょうだいのいる子、リーダーシップのある子だったりします。
このように、子ども達の習慣や文化は、年上の子どもから年下の子どもにひきつがれていくと同時に、それぞれの子が家庭から持ち込む習慣、文化によってアレンジされていくと言えます。
同じ文化圏で生まれ育っている場合は、それぞれの子が家庭から持ち込む習慣、文化は似かよっています。
親から子へ習慣が伝達しているように思えるけど、実際は、親(大人)集団から子集団へ、というのが正確ということです。
また、子どもの集団は大人以上に同調圧力が強く、「普通」であることに極度にこだわる傾向があります。そのため、子ども達の「性別」「年齢」などのカテゴリーは社会のステレオタイプに影響されやすいという特徴もあります。
重層化するカテゴリーの中で選ばれるのは…親と似たもの
子ども達も年齢が上がるにつれ、カテゴリーが重層化していきます。
世界が広くなると、社会が見えてくると、自分の所属する場所は細分化されていくということです。
例えば、乳児は自分を「赤ちゃん・子供」としか思いませんが、幼稚園児くらいになると「男女」の意識が芽生えます。
アメリカでは、およそ小学生くらいになると「人種」や「信仰」を意識しだし、それぞれのカテゴリー集団を作れるくらいの人数になると、完全にグループで別れる傾向があるそうです。また年齢が上がるにつれ、親の収入や仕事、居住地域もカテゴリー化に影響します。
つまり、親がどのようなカテゴリーに属しているかで、子どもがどのカテゴリーに属するか影響をうけるということになります。
これは日本でも同じで、子ども達は親がどのようなカテゴリーに属しているかを観察し、その子ども集団にコミットしていくと言えます。
親がどのようなカテゴリーに所属しているかは、多くの場合は明文化されていないため、子ども達も無意識の領域の中で感じ取ることと思われます。
それには、親や親が行動を共にしている大人が、どんな言葉遣いをするか、どんなタイプの人に共感・反感を示すか等が、観察されていると言ってよいでしょう。
子どもにある社会性を身につけさせたい場合は、親自身もそう振る舞うと同時に、つるむ親仲間(大人仲間)を選ぶことが重要そうです。
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子どもは親ではなく子ども仲間のまねをしていくはずなのに、意外かもしれません。
それは、子ども時代を通して、人によっては一生つづく“家庭・家族カテゴリー”のメンバーであることによります。
アメリカ以上に「家族」の単位が重視される日本の社会では、家族メンバーの「普通」という同調圧力は強いと思われます。
家庭というカテゴリー:食生活、育児スタイル…
上では社会的な習慣や文化は家庭の外で身につく、という事を書きましたが、日常生活上の習慣や文化はどうでしょう?
“家庭”は前近代社会では周囲につつぬけでしたが、現代ではかなり密室です。つまり、家庭内での習慣は他の家族からの同調圧力が働きにくくなっています。
家庭内でしか使わないような習慣は、家庭・家族というカテゴリーの中でのみ学ばれることになります。
移民の家庭内で、元の国の言語が使われるのはこのためです。
また、本の中では“家庭料理”の例がありました。移民家族の料理は同じ祖国の移民同志の家族であれば、2~3世でもほとんど1世と同じ料理を食べているというものです。
確かに、お客さんがきた時はよそ行き料理を出すもので、リアルな日常食は家族の外にみせる事はあまりありません。
結婚などでよその家の人と一緒に暮らすと、料理や掃除など家庭内でしか通用しない習慣で軋轢が生じやすいのも、このためです。
他に、よその家庭のリアルが見えてこないものに、育児スタイルがあります。これは、虐待や毒親が連鎖しやすい理由でもあります。親のような育児がしたくない人は、“意識して”ほかのやり方に触れてまねする等する必要があると思います。
カテゴリーに同調するのは無意識の過程なので、打破するには意識して行動を変えることが役立ちます。(このあたりはまた別稿にします)
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子ども達が「家庭・家族カテゴリー」にコミットし家庭内の習慣を身につけるのに、少しだけ注意点があります。
子どもは「子どもカテゴリー」にも所属しています。園や学校やテレビなどから、他の子どものふるまいを観察しています。
つまり「自分は大人ではないからできなくてもいい」という認識をもちやすいのです。好き嫌いの稿でも書きましたが、自分がそれにふさわしい大人になったと認識するまでは、大人らしい振る舞いをしないものです。
親がこうあるのが「普通」とやって見せることも、子どものうちはできなくても、大人になった時には「普通に」やるようになります。子どもが汚い言葉遣いを覚えても、思春期を過ぎ大人になった頃には親と似た言葉になっていくものです。
子育て中の方々は、将来の子どもにまねしてほしい習慣、態度を心がけ、今の子ども達はできなくても当たり前だと知っておくことで、ストレスが減らせるかもしれません。
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