子どもの発達を専門にしている私が、なぜ栄養の話をしつこくするのか、理由を書いてみたいと思います。
鍵は「遺伝子」の働き方です。
第一弾は遺伝子の基礎的な話です。第二弾は遺伝子と身体の関り合いについてです。
生まれと育ち、どちらが影響大?
遺伝子決定論は極論
人の身体の60兆ともいう細胞のひとつひとつに遺伝子があることは、よく知られていると思います。
その遺伝子は、46本(23対)の染色体という構造に集合していて、46本は父と母からそれぞれ23本づつコピーをもらっていますので、23対という言い方になります。
遺伝子は身体に関するすべての情報を記した設計図なので、身体の形、細胞の機能も全部、遺伝子に規定されています。
そうすると、生まれてから死ぬまで、どんな病気になるか、どんな人生を歩むかまで全部、遺伝子で決まっている(遺伝子決定論)と考える人がいますが、それは実は極論で思考停止と言えます。
20世紀後半、「遺伝子さえわかればすべてわかる」と期待され、遺伝子配列の研究(ヒトゲノムプロジェクト)が始まり、00年代にはすべての配列が解明されました。
が、「配列がわかったら、もっとわからないことが増えた」という結末で、今はさらに複雑な機序を探る遺伝子研究の段階に入っています。
遺伝子の何が難しかったかというと、「遺伝子は“すべての”情報を記している」というところです。
遺伝子は記されていることが単純に100%実行されるわけではなく、遺伝子のどの部分をどのくらいの強弱で実行するか、その情報も含めて記載されている、ということです。
遺伝子を設計図の束と例えるなら、その束の中からどの部分を使い何を作るか、どの材料を使うか、材料はどうやって調達するか、材料を調達し加工する工場のつくり方から、現場監督のマニュアル、棄損した設計図の修復法まで…の情報を含んでいる束ということです。
“すべての”というのはそういう意味です。「設計図」というより「世界観」に近いかもしれません。
エピジェネティクス:「発生」と「適応」
エクソン配列に従って「アミノ酸を並べたんぱく質を合成する」ことを中心に研究するのが狭義の遺伝子研究(ジェネティクス=遺伝学)とするならば、エクソン配列だけでなくその他の制御すべてのメカニズムを研究するのが広義の遺伝子研究(エピジェネティクス)です。
「エピ : epi 」とは、ラテン語の「上の」という意味で、遺伝子を上位から制御する概念として「エピジェネティクス」という造語となったそうです。
具体的にどのような遺伝子のふるまいがエピジェネティック制御なのかというと、ひとつは「発生」、もう一つは環境への「適応」です。
「発生」というのは、ひとつの受精卵が分裂をくりかえして個体になっていく過程のことです。
その際、ある細胞群は骨細胞になり、ある細胞群は肝細胞や筋細胞他になっていきます。
すべての細胞は、核の中にすべての遺伝子を含んでいるので、どの細胞も同じはずなのですが、分裂をくりかえしていくと特定の機能をもった細胞になっていきます(分化といいます)。
その特定の細胞は、特定の場所、つながりをもってひとつの機能する個体となっていくのです。
この現象は当たり前に知られていましたが、メカニズムは不明でした。
そこへエピジェネティクスが登場し、メカニズム解明の足がかりができています。
細胞が分化する際には、ある部分の遺伝子が不活化されていき、残った機能だけをもった特定の細胞となるのです。
遺伝子の不活化のメカニズム(化学反応)はわかってきていますが、どの細胞のどの部分をどう制御して化学反応が起きるのかは、研究段階です。
ふたつめの環境への「適応」は、より臨床医学に近い研究分野です。
遺伝子決定論の世界観では、受精卵の段階で遺伝子対は決まってるので、その後どのような成長の仕方をしても、すべてが運命のように決まっている、と考えられていました。
どのような遺伝子対を親からもらうか(確率論)で、運命が決まってしまうという考えです。
でも、実際にはそれに反する事例がたくさん存在する、ということに研究者は気づいていました。遺伝子決定論には不備がある、ということです。
その客観的事例は「双子研究」から得られました。
双子研究
日本ではあまり養子縁組がさかんではないせいか、大掛かりな双子研究を聞きませんが、養子縁組が社会インフラとして機能しているヨーロッパでは、多くの双子研究があります。
双子研究では、①一卵性双生児、②二卵性双生児、③きょうだいにわけて、それぞれがどう育ち亡くなるかを調べる研究が多いです。
①と②は遺伝子が違うけれども、生活環境は同じ、②と③は違う遺伝子という意味では同じだけど、生活環境が同じか違うかというような比較ができます。
その中でも特に、生後すぐに養子にでた双子やきょうだいの場合は、その人の人生に遺伝子と環境のどちらがより影響するのか、を調べることができます。
特に、まったく同じ遺伝子をもってる一卵性双生児ペアの研究を一卵性双生児研究と言います。
双子研究は多岐にわたるので、すべてを紹介することはできませんが、例として一卵性双生児研究での“一卵性双生児一致率”をあげてみます。
全く同じ遺伝子をもった二人が、生涯どのような状態に共通してなるか、を調べたものです。
研究によって多少のばらつきがありますが、多い順から並べてみました。(すべてが養子研究ではありません。同じ親に育てられたケースも含んでいます)
勘違いのないようにしていただきたいですが、これは、親から遺伝する確率ではありません。同じ遺伝子をもった双子が生涯で同じ状態になる確率です。
一般に「多因子遺伝」とされる疾患が多く含まれています。
遺伝子決定論では、そのような体質を遺伝したから仕方がない、と考えられそうな事象ですが、科学的真実では遺伝だけの問題ではないという事がわかります。
ただし、身長については遺伝の影響がかなり大きいようですね。
統合失調症や自閉症など、遺伝の影響が強いとされる疾患でさえ、確率は100%とはなりません。
この100%に満たない違いが、環境への「適応」としてのエピジェネティクス機序によると考えられています。つまり、遺伝子に対する環境の影響です。
実際エピジェネティクス研究では、人の生きざまが遺伝子の制御に影響を及ぼしていることの証拠(エビデンス)も見つかり始めています。
今の段階では、不可抗力的な環境変化(飢餓や戦闘地域でのストレスなど)でのエビデンスがメインですが、研究としては、運動習慣、過食・肥満、睡眠、精神生活などの環境因も調べられているようです。
人の身体は、「遺伝子の制御方法を変える」という方法で、柔軟に環境に適応しているというのは科学的に間違いないと考えられます。
そしてこの変化は、従来の遺伝学による、「世代を経るたびに遺伝子の変化がおきる」という適応より、よっぽどスピード感があるのです。
以前の記事で書きましたが、日本人の平均身長は戦後生まれからたったの2~3世代で劇的に伸びています。双子研究でわかるとおり、身長は環境の影響をうけにくいにもかかわらず、です。
身長ですらここまで劇的に変化するのだから、それ以外の疾患についても“環境≒生活習慣”の影響を強く受けるのは自明です。
病気になりにくい環境要因は何か?まだはっきり分かっていませんが、良いと考えられる環境は積極的に取り入れることが大事と思います。
個人ができる最大の環境要因は“栄養”つまり「何を食べ何を食べないか」だと思います。
次稿、栄養と遺伝子の関係について、考えてみます。
おまけ:エピジェネティクスのもうひとつのトピックス
環境に対する適応が、数世代で大きく変化していく、このことに違和感はないでしょうか?
これの意味するところは、適応的遺伝子変化は一世代限定ではない、ということです。
つまり、エピジェネティック変化は「遺伝する」のです。(ヒトではまだ証明されていませんが、世代間隔の短い哺乳類では証明されました)
どのような生活態度がどのように子孫の遺伝子に影響するのか、詳細は研究段階ですが、有名な例としては、祖父母世代の飢餓体験は、子より孫世代の疾患や死亡率に影響したという事例があります。
現在では、第二次大戦中にナチスドイツによって食糧封鎖された都市に住んでいた人の事例などで、追試が行われているようです。
もちろん、現在子作りの終わっている人は子孫に影響を及ぼせないわけですが、子作り前の人や子供を育てている人は、今の生活習慣が、子や孫に影響する(かも)ということを、頭の片隅にはおいておくといいかもと思います。
去年(2019)NHKの番組でエピジェネティクスが特集されましたが、番組内で欧州で「妊活前の男性に運動をさせて生まれてくる子供の健康状態を観察する」研究が始まっている、と紹介されていました。
壮大なタイムスパンの研究ですね、結論が(科学的に)出せるのはだいぶ先になりそうですが、とても興味深いです。
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