たんぱく質とサイキック能力

いろいろ

たんぱく質シリーズのつづき…ですが、ちょっとオカルト内容を含みます。

動物性たんぱく質や動物性脂肪が、いわば“冤罪”で貶められた歴史は理解できても、なぜ人々が簡単にその言説に乗ってしまったのか、不思議です。

おそらく、私たちの中に何かしら、動物性のものは悪い、と考える無意識の抵抗感があるのかも知れません。
それを探ってみたいと思います。

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動物性食品を食べるとサイキック能力に影響があるようです

日本の仏教の中にもありますが、「殺生を禁ずる」として動物食を禁止する宗教があります。
インドでは菜食の戒律を伝統として守っている村もあるといいます。

私は宗教に関しては素人なので、それらの信仰と肉食禁止の歴史について論じることはしませんが、私が宗教的な超感覚について聞いたことのある話は、これらの戒律の始まりを推測する材料になりそうです。

シャーマンたちの意見:北米、日本

北米のネイティブアメリカンのシャーマンから、「肉を食べると感覚が鈍くなる」と聞いたことがあります。
北米の別のシャーマンからは、「霊と交信する際には強いお酒をのむ伝統がある(だからそれらを“spirits”というんだとか)」と聞きました。

また、日本人の尼僧さんからは、厳格な精進食を摂っていたころは、「いろいろなものが見えるようになり、お経の時のキラキラした光や仏様のビジョンなどなど」の体験があったけれど、体調を崩されて肉食を再開したところ、見えなくなってしまったと聞きました。

これらの話からは、「宗教的神秘体験=超感覚」とでもいうべき何かは、普段の意識状態では得られにくく、何か脳の機能を制限すると(アルコールのが典型的)得られやすくなる、と推測されます。
いわゆる“トリップ”という状態かも知れません。

宗教的社会と超感覚

シャーマンなど宗教家の方々は、初めから超感覚の能力が強い人がなる、とも考えられますが、一般人でもその域に近づく方法が「修行」と言えそうです。

仏教では“断食行”が今でも行われていますが、断食中や過酷な肉体的状況では、脳の機能は制限されるため超感覚に触れやすくなり、すばらしい宗教体験ができるとも考えられます。
その成功体験が修行の方法論として後世に残ったと想像できます。

私は、人の第6,7,8感のようなものは、ほとんどの人では生まれつき備わっているけれども閉じてしまっていて(脳が抑制している、脳の抑制がはずれると開くのではないかと考えています。
もちろん、開きやすい開きにくいという個人差はあるでしょうけれども。

ボディートークの傍テクニックでも、瞑想に近い状態を維持して、イメージの中で情報を取りにいくものがあります。
(マインドスケープ:ボディートークを学んでいない人も受講しています、興味のあるかたはどうぞ♪)

私は全く、いわゆる「霊感」はないのですが、マインドスケープを使うと、五感を超えた範囲からの情報にアクセスしやすくなります。
つまり、生まれつき超感覚の鋭い人(いわゆる霊感のあるひと)でなくても、何らかの方法で脳の抑制をはずすと、超感覚が使えるようになる、と考えられます。

その脳の抑制をはずす方法として、アルコールや麻薬が使われることは想像できるし、瞑想などのトレーニングの他、低たんぱく食でも脳機能が制限され抑制系が働きにくくなるという面で、同じような効果がえられるのでしょう。

宗教的な社会では、これらの、アルコール、麻薬、瞑想、低たんぱく食(肉食をきらう)などにインセンティブがあると考えられます

私は常々、日本の社会はアルコールに対して甘すぎると思っていますが、神事や仏事に酒がつきものなことも、その理由のひとつかなと感じます。
大麻合法化の運動が、医療ではなくスピリチュアル系の方々から発信されるのも、示唆的です。

そんなこんなで、宗教感覚の残る社会(特に原始的な超感覚を重視する文化:日本もそういうところは多々ありますね)や原始的な宗教感覚にあこがれる人(1960年代のニューエイジなど)にとって、瞑想などの鍛錬と同時に肉食の忌避は受け入れられやすいと思います。

肉を食べるときの“罪の感覚”は、こういうものなのかなと思います。

例外もあります:モンゴル

すべての宗教文化が肉食を避けるわけではなく、肉食を推奨するシャーマンもいます。
私は、数年前モンゴルに行き、現地のシャーマンの儀式を見学させてもらいました。

その際、儀式の前に皆さんと一緒に食事をしたのですが、それはモンゴルの伝統的料理で、羊肉とジャガイモを石焼にしたもの、でした。
シャーマンのみなさんは兼業シャーマンで、普段はウランバートルの都会人として生活している人たちだったので、郊外のゲルでいただく野趣あふれる伝統食は、ちょっとイベント体験のようで、皆さんおいしそうに食べていました。

その時に聞いた話が、モンゴルでも「意識高い系」で菜食主義に走った人はいるけど、5年くらいたつとみんな体が冷えて体調をこわす、モンゴルの冬の寒さを乗り切るには、伝統食の羊を食べないとダメ、モンゴルの羊は200種類以上の草を食べて育つので、モンゴル人は間接的に200種類の野菜を食べていることになる、というものでした。

その後の、深夜の儀式では、皆さんものの見事にトランス状態に入り、焚火の火を素手で持って煙草に火をつけたり、真っ赤な焚火の火を口に入れておいしそうに食べたり…という光景を目にしました。
(シャーマン儀式体験記はまた別稿に書きます)

モンゴルシャーマンに関しては、肉食でサイキック力が落ちることはないようです。また、モンゴルには強い酒(モンゴルウォッカ)がありますが、儀式前に飲酒はしていませんでした。

サイキック力に関する考察

上に、人の第6,7,8感のようなものは、ほとんどの人では生まれつき備わっているけれども閉じてしまっていて、脳の抑制がはずれると開くのではないかと考えています、と書きましたが、脳機能からそのメカニズムを考えてみます。

感覚の調整は脳の機能

人は、視覚、聴覚、触覚などの感覚器官からの入力で、身体の外の情報を得ています。脳自体は見たり聞いたりできないのですが、目や耳など「感覚器官」からのインプットをつうじて、見た聞いたなどという情報を手に入れます。これを、感覚の認知といいます。
目や耳に情報が入った時ではなく、脳がそれを認知して初めて、人は何かを見たり聞いたりという状態になるのです

目がいい、耳がいい、超感覚がある、という事の鍵を握っているのは“脳”とも言えます。特に超感覚については、実際の視力や聴力はあまり関係なさそうです。

現代の科学によると、脳はすべての感覚入力を認知するのかというと、そうではないことがわかっています。

視界に入っていたはずなのにまったく見えていなかったり、大きな音を聞き続けてると小さい音が聞こえにくくなったり、脳にはその時の状況に応じて、適宜入力をカットして、情報処理の負担を減らす機能があります。フィルター機能や馴化機能と言えますが、これらは脳の自律機能の一部で、人が意識して使いこなせるものではありませ

私は超感覚は、これらの機能が弱い、または弱まった時に生じると考えています。

馴化機能は、慣れた刺激は認知しなくなるというものですが、子どもは刺激に対する経験が浅いため、大人よりも先入観なく刺激を認知することが多いようです。
これは、子どもは時に大人には見えないものを見ている、ことの理由と思います。大人になると、そこにあるはずのものだけを見て、ないはずのものは見なくなるのです。

超感覚を大人になっても保持している人は、素直な人なのかもしれません。いや、単にそういう体質なだけかもしれませんが。

超感覚を開く方法はある?

では、超感覚を失ったまたは、もともとない人が、脳をトレーニングして超感覚を手に入れることは、できるのでしょうか?

普通の方法ではできないのですが、ある種の「超能力トレーニング」のような鍛錬でできるようにはなるそうです。(私はやり方はしりません)
でも、それはおすすめできません。

識者によると、一度開いてしまった感覚は元には戻せないといいます。感覚入力がありすぎて、脳の情報処理機能がいっぱいになっても、元には戻せないということです。
これは、日常生活に支障をきたすことになります
似た話を、T大学病院の内科の先生から聞きましたが、クンダリーニ覚醒をしてしまって日常生活に支障があるので元に戻してほしい、という患者さんを複数診たことがあるそうです。もちろん、どうしようもなかったそうですが、さすがにT大ともなると全国からいろんな患者さんが紹介されてくるようですね。

実は統合失調症も、先に感覚の異常(幻覚や自我の違和感)があって、その感覚の情報処理に意識がまいってしまって、体系的な妄想を作り出し納得するという病態がありうる、といいます。

興味本位でこれらの鍛錬を行うことは、やめた方がいいと思います。

安全な脳機能の抑制法は?

これらの永続的効果を得てしまう鍛錬以外で、超感覚に触れる方法は、上記したアルコール、麻薬、瞑想、低たんぱく食があります。
この中で、一番安全なのは瞑想です。(マインドスケープも瞑想の一種です)

アルコールの効果は一過性と考えられますが、ご存じのように、依存性と身体毒性があります。ご利用は計画的に。
麻薬系薬物の効果も一過性かも知れませんが…、成人精神科勤務時代にみた薬物依存症の方の多くが、もう薬物の摂取はしなくなって長いのに幻聴などの幻覚に苦しんでいました。使用がただの1回で幻覚が消えなくなってしまった人もいましたので、興味本位で手を出すのは、本当にやめた方がいいと思います。

低たんぱく食は、脳内のシナプス(神経細胞同士の連絡)に使われる、神経伝達物質の不足により、脳機能の低下をきたすものと、考えられます
もちろん、脳の機能は多岐にわたり、神経伝達物質も複数種類あり、それらを生合成する酵素の活性や補酵素になるビタミン、ミネラルの量にも個人差があるので、どんな風に脳機能の抑制がくるのかは、一概には言えないのですが、うまく感覚の抑制系を抑制できれば超感覚に触れることができるかもしれません。
上の尼僧さんの例のように、瞑想(読経)と組み合わせるとよいかもです。

ただし、私は低たんぱく食をおすすめしてはいません。

以前の稿にも書きましたが、全身の構造と機能を支えるたんぱく質が足りなくなると、身体のいろんなところ(多くはその人のウイークポイント)に支障をきたすようになります。将来の、“要介護リスク”の最大のものが低たんぱく食と考えられています。

また、脳の機能も同じように支障をきたします。
どの部分が弱点かには個人差もありますが、個人差以前の部分もあります

脳の機能は生きる上での優先順位が決まっています。これはどの人も同じです。
1番大事なのは、心臓や呼吸、自律神経などの中枢とされる部分で、生存に直結した機能です。
2番目は、ホルモンの調節や欲望、欲求、危険の察知と判断を行う、動物的な本能に近い機能です。
最後にくるのが、人間的な思考、言語などのいわゆる高次脳機能の部分です。

栄養や血流や酸素などが足りない時、脳は自然に優先順位順に機能を保持しようとします。
つまり、人間的な思考の部分が一番最初に切り捨てられます。

低たんぱく食でも同様で、初めに機能が衰えてくるのが人間的思考の部分になります。
どのように衰えがくるかは多少の個人差がありますが、わりと普遍的なのは、欲望を抑える機能や危険信号を抑える機能の衰えです
これは、我慢ができない(特に怒りの我慢など)、常に危険体制=ストレス状況となるなどの形で現れます。食欲の暴発や、ギャンブルなど依存症の抑制にも影響する人もいます。

そして、常にストレス状況というのはやっかいで、常に臨戦態勢なので、休まることができず、身体も疲れ、脳以外にもいろんなところに問題を派生させます。周囲に対する安心感が得られにくくなるため、攻撃や回避などで対人関係を悪化するリスクも高まります。

なので、低たんぱく食というのは、宗教関係の方々のように、何らかの形でのストレスコントロールと怒りの制御ができない限り、安全ではないと言えます。

結論として、サイキック力をアップさせたければ、地道に瞑想をトレーニングするのがよさそうと思います。

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